金融屋の銭太郎の職歴

銭太郎の大手サラ金と街金の職歴

金融屋の銭太郎|ナビゲート

 

銭太郎の職歴を紹介するページです。
私は 20 年以上、この消費者金融を中心とした金融業界に携わって来て、東京の大手サラ金から大阪の地域密着型の街金(街金融)に縁あって転職し、これまで本当に金融業界一本で仕事をして来ました。

そんな男の職歴をつらつらと書いていきます。
別段、自慢が出来る職歴ではありませんが、この「金融屋の銭太郎が斬る!」を作ろうと思った理由も長年、金融屋をしていた経験からでしたので、興味のある人は見てやって下さい。


サラ金時代のお話し

私は高校を卒業して 19 歳で東京のサラ金に勤めました。
・・・っと言っても学校を卒業して直ぐではなく、半年ほどフラフラと定職にも就かず、アルバイトをしながら将来なりたい職業もなく、毎日ダラダラと過ごしていました。

今は「消費者金融」という呼び名が浸透していますが、当時は一般的に「サラ金」と呼ばれる事が多く、職業的にも人に胸を張って言える仕事ではありませんでしたし、人からは「高利貸し」のあまり良いイメージなくて、白い目で見られる事もしばしばありました。
現在、大手の消費者金融は銀行がバックについてますが、当時はそういった会社もなく、純粋にサラ金を営む業者が殆どでしたしね。

テレビ CM で聞き慣れない「コンシューマーファイナンス」とか言って、芸能人を起用したり、色々な媒体に「うちの会社は良い会社です!」なんてアピールしてますが、私の時代は今のそんなイメージには程遠かったです。


その時、私は全国でも規模的は大きな会社に就職しましたが、昔は大手でも結構、際どいやり方で回収もする時もありましたね。
私が新人の時に支店長について債務者の自宅訪問した事ありますが、今だったら確実に「業務停止処分」でアウトってなるような事が沢山ありましたよ。


今でも鮮明に覚えてるのが支店長の決まり文句。
焦げ付きそうな債務を回収する時に「金融屋に情けはいらねぇ、いるのは金だけや!」って・・・「支店長、アンタそれ・・・ヤクザ映画を見すぎやで!」ってツッコミ満載の言葉を債務者に言い放ち、自分に「悦」が入るちょっと変な人でしたが、会社以外は普通の「お父さん」で人間的にはとても良い人でした。


社員を上から守ってくれたり、愛情を持って叱ってくれたり、飲みに行ったら仕事の心構えを本気で私に教えてくれたり、「高度経済成長期を支えた日本のお父さん」みたいな人が周りにも多い時代でした。

今は少し仕事に対してドライな人が多いように感じますが、それはそれで時代の流れかも知れませんが、昔の事が良いように思えるのは私がオッサンになったからでしょうね。

この時の給料は 2 年目で手取り 30 万、ボーナス 100 万貰ってました。
小僧の私にとって、それは生活するには十分過ぎるお給料でしたね、ホント。

街金へ転職

私はその後に、地元の大阪ミナミの街金へ転職する事になります。
理由はオカンの病気。
東京から大阪に帰って来て、3 年は一緒に暮らしながら大阪で従業員 8 人の小さな会社に勤める事になりました。

大手と比べ給料はかなり下がってしまいましたが、大阪生まれの私が 10 年近く東京にいたせいか、大阪の街金はカルチャーショック受けるぐらい酷い物でした。


何がそんな酷いって?
もうね、従業員は全員ガラは悪いし、ヤンキー上がりの事務員もガサツですし、毎日、毎日、事務所は怒鳴り声が一日中響いて、奥の応接室では債務者に説教+うちでは定番の灰皿が壁に当たって支店長の「金返えさんかいボケッ!」がこだまする、日常の日々。
応接室の灰皿は大きなガラスの物でしたが、お客さん用の灰皿はアルミの安いヤツで投げてどっかに当たるとイイ音がするんです(笑
唯一、静かなので昼休憩の時間のみ、それが普通の見慣れた日々でした。


貸し付け担当の従業員は、派手なネクタイしたダブルのスーツを着た人が殆どで、支店長は何故か上の人と会う時以外は、会社の中ではずっと Tシャツにサンダル、冬でもそれに1枚羽織るぐらいで「元気な小学生か!」っていつも心の中でツッコミを入れてました。
そんなある日、仕事が終わって近くの居酒屋で支店長と飲んどる時に「支店長はなんで会社でスーツ着ないんですか?」って聞いてみました。


そしたら「アホ!俺がスーツ来たらヤクザに見えるやんけ!」って答え。
いやいや、今でも十分見えますが・・・
自分の見た目を気にしてたんですね支店長・・・そりゃ、ハゲでスキンヘッドに、当時としては大柄な 180 cm の身長に加え、ガタイの良さと、太い腕に金のロレックス、もう「その筋の人」にしか確かに見えませんでしたが、あと頬にキズでもあれば完璧でしたが、流石に頬にキズはありませんでしたけどね。


この時代は、お客が来店して金を借りるのが普通でしたし、個人だけではなく小さな町工場を経営している人も出入りしていて、色々な人間模様を見て、その後の私の「人生の教訓」というか、非常に勉強になった部分は多かったです。
最終的には、この大阪の街金には 10 年ほど勤めました。

銭太郎の現在

銭太郎は現在、独立して小さな会社をやっています。
但し、この皆さんが見ている「金融屋の銭太郎が斬る!」は長年の経験を元にした趣味的なものが強いというか、他の中小消費者金融のサイトが、素人さんがやってるのかは定かではありませんが、余りに間違った情報が多く「自分が正しい情報を提供する!」という想いで立ち上げて、自信を持って運営しています。

銭太郎は常に最新の情報を公開すよう努めています。
ですので、少しでも皆さんのキャッシングライフにお役に立てればと思っておりますので、安心してご利用頂ければ幸いです。